火曜~木曜の間は沖縄に行ってきました。
まぁ、当たり前ですが、沖縄は暖かかったんで
昨日晩に関空に着いたときは寒いなぁ、、、と、感じました。
今回は沖縄の旅行の写真です。
1枚目はまずレンタカーを借りて行きたかった旧海軍壕に行ってきました。
2枚目は旧海軍壕の中です。
僕は歴史が好きでいろんな本を読んで教科書には載ってないことに興味があり
日本人として思うことがあり、この様な場所に行っていろいろ考えていい経験になりました。
3枚目は旧海軍壕の指令室です。
まぁ、分かる人にはここからの6月6日の電文の意味が
本当のその当時の 軍人さんや大田少将の純粋な気持ちだと思います。
何か現在は誤解を恐れずに言いますと、すり替わった教わり方をしてる気がします。
4枚目は場所を移動して平和記念公園です。
たまたま歩いてると九十三式酸素魚雷があり写真を撮りました。
平和記念公園の資料館は何か日本人が日本人を嫌いになりそうな
何か分からない力が加わった知識のない人が見れば間違った感覚を教えられそうな場所でした。
5枚目は平和記念公園でここら辺が最後の撤退した32軍の陣地だと思います。
1945年6月23日に組織的な沖縄戦の終焉を迎えた場所だと思います。
資料がないのでさだかではありませんが海の見える場所だったそうです。
6枚目は場所を移動してひめゆりの塔です。
石碑にも書いてるとおり軍の病院でここの資料館も フイルムの当時の生き残った、
ひめゆり学生隊の看護要因の方々の 当時の様子を語ったものは
現状の出来る中で一生懸命自分のすべきことを100%してはったんだなぁ、、、
と、現在の生かされた自分も頑張らないといけないなぁと、思いますが、
その後の資料や説明文を読むと、
何か過去の日本人があかん見たいなことにニュアンスが変ってる気がします。
7枚目は場所を移して首里城付近の1945年の米軍が3月26日の上陸の時の
沖縄戦最初の32軍の司令部があった壕の入り口です。
8枚目は海軍壕と違い陸軍の壕は入り口しか見ることが出来ませんでした。
何か壕なんで当たり前ですが、目立たないし地元の人に聞いて探さないと
首里城の近くにあるのに扱いが他人事みたいで悲しい気分になりました。
そろそろ勝てば正義で負ければ悪の様な感じではなく、
その時代背景で何故そうのようになったのかを公平に教わらないと
それこそ未来が見えないなぁ、、、と、感じました。
9枚目は辛気臭くなったんで、沖縄美ら海水族館でタツノオトシゴが
流されない様に 海草に尻尾を巻きつけて
皆うつむきでシュールにゆらゆら揺れてた写真です。
まぁ、後もいろいろいろと行きましたが大まかな沖縄での旅の様子です。